10月3日「自分の部屋(家)とはどうあるべきなのか。」

「自分の部屋(家)とは、どうある場所であるべきか。」

結論から言うと、「始まられる場所」。

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10月3日土曜日。時刻は午後1時。

自分の部屋。

それはおそらく、自分以外のものの中で、もしかして一番大切にしなければいけない所ではないかと僕は思う。

自分の部屋。

そこが起点であり、また終点になっていく。

ある意味、自分の部屋というのが「すべて」のような気がして、僕はならない。(少なくとも、現時点の僕にとってはそう。)

人は「無限」を望むけれど、人は「可能性」を望むけれど、人は「自由」を望むけれど、『自分が在る点』というのは、いい意味でも悪い意味でも「一点」しかおられない。

つまり、現在の僕たちというのは常に、「一つの場所」にしかいられない。

これは、縛りでもあり、また自由であるとも僕は思う。

一点しかおられないならば、重視すべき一点を重視すべきだ。(それがつまり、自分の部屋)

自分を守ってくれる場所。

自分が自分でいられる場所。

自分に「帰ってこられる」場所。

自分をまた、「始められる」場所。

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それで、結局、自分の部屋とはどうあるべきなのか。

それは、自分の「過去が置いてある場所」と言ってもいいのではないだろうか。

部屋の弱点として、それは「過去」でしかないところだ。

未来は常に、部屋の「外側」になる。(例え部屋から出ないとしても、インターネットを介して外に繋がるなど。外、つまり他者がいる場所に僕たちの未来はある。)

自分の部屋とはつまり、自分を守る最大の長所でありながら、それだけでは、(外部から)「断たれてしまう」という弱点がある。(それが長所にもなっているのだけれど。)

つまり、自分の部屋というのは自分の部屋だけでは成立しない。

あくまで、未来は外になる。(とりあえず、今回はその外の話は置いておく。)

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自分を守る場所である自分の部屋。

自分の過去を置いてある自分の部屋。

そこで重要なのは、「過去を整理する」ことではないかと僕は思う。(また、過去を整理するぐらいしか部屋は出来ない。あくまでスタート地点に戻れる場所であって、どこかにスタートすることは部屋の中では出来ない。)

部屋とは「0」である。

部屋とは、また外に向かって、新しい自分を立て直せる場所である。

部屋にはつまり、何も無い。

部屋には、過去はあるけど、未来はない。

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何が言いたいの?

つまり、部屋を綺麗に整理して片づけておいた方が、新しい未来に勧めるよというお話。

また、未来に迷ったら、過去に引きこもり続ければいいよというお話。(引き籠ってもいいけど、その中で整理した方がいいよというお話。)

部屋には、何も無い。

しかし、守ってくれる過去の自分がたくさんいる。

部屋とはそういうものではないかと、今の僕は思っている。

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