「幸せとは何か。幸せとは、静か、それとも動が。もしくは、アウトプットしている時か、インプットしている時か。」
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10月16日金曜日。時刻は午後10時半。
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僕が思うに、僕が思う幸せとは、例えるなら『美術館で絵画を見ている時』、ではないかと思っている。
つまり、幸せとは、動よりも「静」に近いもの、と僕は考える。
動いているものは幸せではないというか、「落ち着く場所」ではない。
幸せな所とは静かな場所であり、そこでは、騒がしくなく、「まるで時が止まったような」場所ではないかと思う。
他者性をひどく欲している僕たちだが、それと逆行するように、幸せは、「一人の時」、「一人で向か合う時・噛みしめる時」にしか訪れないと、僕は思う。
「静かな場所」であることが、幸せの第一条件であると、僕の場合は思っている。
騒がしい場所、そこはすでに、幸せではない。
そしてどちらかというとアウトプットよりかは、インプットの時の方が、僕は幸せだと思う。
インプットの方が「楽だから」。
楽な方が、僕は幸せと考える。
静かな場所であり、インプット出来る場所
それは主に、「趣味」と呼べるものがそうなのかもしれない。(読書とか映画鑑賞とか)
拠り所とは、一人であり、静かであり、アウトプットを必要としない場所。
しかしその拠り所の「前戯的立ち位置なる場所」には、大勢がいたり、騒がしかったり、アウトプットを必要とする場所なのかもしれない。(いわゆる、ギャップな。)
喧噪から静謐へ。
動から静へ。
アウトプットからインプットへ。
大勢から一人へ。
そういう流れの中が、「幸せ」と呼べるのではないだろうか。
幸せとはつまり、『回顧』であると、僕は思う。