「コミュニケーションは主に「言葉」でしか出来ないという、弱点であり攻め点。(攻め点って、なんぞ?←ww)」
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「言葉」。
以前僕が、この世で美しいものランキングで述べた通り、言葉は2位に位置する「美しきもの(≒僕たちが否応なく惹かれるもの。興味があるもの)」だと思う。(ちなみに1位は数字。3位は女体。)
「言葉」。
はっきり言ってそれはある意味、僕たちの「存在」より遥かに、めちゃくちゃ遥かに「上」であると僕は思う。(まあ、ある意味これは人間の精神的側面の話だけれど。さっきの美しいランキングもそう。人は精神と肉体二つがあって、どちらかというと肉体が優位であることを忘れてはいけない。だから数字とか言葉が1位とか2位であるという話は、あくまで人の半分の側面を話しているにすぎない。)
一般的に僕たちは、言葉に「憑りつかれている」、と言ってさえいいのかもしれない。
それは「概念」であったり「想い」であったり「思考」であったり「思想」であったりする言葉に置き換えてもいいのだけれど。
僕たちの存在より、僕たちの言葉が僕たちに在る。
そういう僕たちを分かりやすい世界で言うと、例えば「ツイッター」なんか、そうだろう。
あの世界には誰もいない。
しかし、まるで普通に喫茶店や街中や会社で会話するように、僕たちが普通に喋っているような「よく分からない空間」がツイッターだと思う。
あの空間で僕たちは一体、誰と喋っているのだろうか。
みんな、訳も分からず、誰かに促されて自分、のような、言葉を発している。
あそこには実体はなくて、言葉だけで、しかし僕たちが成立している。
おかしい・・・・。←ww
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美しいであるということはそれ同等に「毒」であり、また「奪われている」ことを忘れてはならない。
言葉に殺されてはならない。(殺されがち。←ww)
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ただ、そういう言葉に殺されるのは、人としてしょうがないなと思う。
言葉を使ってある意味自分を傷つかせることが、人っぽいなと僕は思うから。
数字と言葉。
この2つから人は逃れられないし、逃れたら人ではなくなるから。
美しいものはこわい。
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1月3日日曜日。時刻は午後4時半。