「言葉は必要かどうか議論」
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1月15日金曜日。時刻は午後8時。
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- 2週間ぐらい前にもこの話題を出したけど。
究極的に、・・・、う~ん、その究極的っていうのはたぶん、もしかして、「人ではなくなってしまう」ほどの究極的な話になってしまうのだけれど、究極的に言ってしまえば、言葉はいらない、いらない(笑)と思う。
まあ、いらないというか、「失くす」ことで、ある意味、「最果ての領域(笑)」に行ってしまうけれど。
でも、言葉がいらない、言葉を失いというのはある意味、「理想的」であり、一種の「ユートピア」だと思う。
例えば、愛し合っている二人が抱きしめ合っている時、言葉がいらないわけじゃない。
言葉って何か、すごく「罪」であると感じる。
以前述べたように、僕が思う美しいランキング1位は数字であり2位は言葉と述べたけれど、美しいとはそれと同時に僕たちを「縛っている」、つまりそれがないと生きていけないモノであるわけで、ある意味「観念」であったり「概念」であったり、「常識」や「ルーティン」であるわけ。
今、この世の中で数字がなくなってしまったら、めっちゃ世の中が大混乱になってしまって、今の世の中が成り立たなくなってしまうよね。
お金とかもなくなるし、暦とかもなくなるし、時間とかもなくなる。
こわい、というか、「無」に近づくよね。
でも、それを実際にやったら、どうなるだろう。
この世から数字や言葉がなくなったら、僕たちはどういう風になるのだろう。
それを想像すると、僕は少し、いやかなり「興奮」してしまう。
(笑)。
それは何か、おそらく僕の一番の「性癖」ではと僕は思っている。
そこにある一種の「カタルシス」が、たまらなく愛おしい。
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話少し逸れて、そういう意味で「美術」は、言葉を僕たちから失わせる上で、やっぱ凄いなと思う。
まただいぶ話が逸れるけど、以前物語作品の現状の有価価値としては映像作品(ドラマ、映画、アニメ)>>漫画>>小説>>絵画とか述べたけれど、それは何故そうなのかと考えると、その作品に関わる人数も関係してるのかなと思った。
つまりやはり僕たちは、多くの人がその作品に関わるものを好む傾向にある。
一人で作れる小説や絵画より、大勢のスタッフを必要とするドラマとかの方が、より見られる。
芸人でもピン芸人よりコンビの方が売れやすかったり。
やはり「会社」とかと同じで、人は掛け算されて、大きなものが作られていくんだなと感じる。
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