「今、プロフェッショナルの庵野の回を見ている途中の感想」
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3月24日水曜日。時刻は午前11時。
率直な今、半分ぐらいの時間見終えた感想を言うと、「気持ち悪い」←wwww
気持ち悪い・・・・。
それは何か、やはり旧作版の映画の最終回に近いみたいで、面白かったと言えば面白かった。←ww
庵野って、気持ち悪いわ・・・・。←ww
(ちょっと落合監督とも似てるなとも思った)
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何だろう・・・・、人間的に、やっぱこの人にはあまり近づきたくないなと思った。
それは何だろう・・・、生理的にとか、とか違う。
いや、違わないか。←ww
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不思議な感覚だなと思ったし、またやはり、そういう意味で、「作品」とはいいなと思った。
エヴァは好きだし(と言っても、中2の時に見た以来見ていないけど)、エヴァに心惹かれるけれど・・・・。
何が気持ち悪いのか。
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それは、好きな女の子。
好きな女の子もまた、人の子で、親がSEXして生まれた存在である。
そういうシーンを、庵野を見ていると僕が感じてしまうからなのかもしれない。
エヴァ=好きな女の子。
庵野=その女の子が生まれた、精子と卵子が結合する過程の男と女の交わり感じ。
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グロイなと思った、庵野が。
気持ち悪さって、気持ち良さ=美しさと紙一重で、例えば女性にその傾向が強いのだけれど、グロ映画とか、ホラー映画とか、女性の方が好きだったりする。
グロさって、人の本質で、グロさって、美しさの鏡のようなもので、外面の美しさを支えているのはグロさだったりする。
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作品というのは、100方面、100万方面、100億方面から見た、その中の唯一「奇跡」であることが多い。
例えば「グラビアアイドルの写真」とか、素材である人を遥か通り越して、その2次元の中に、ある種別種の美しさをそこに表現しようとする。
一かけらの美しさのためには、その裏に数万数億の醜さなどが潜んでいたりする。
僕たちが見ているエヴァという作品は、エヴァの一かけらに過ぎない。(その一かけらが作品と言えるのだけれど。)
いわば庵野がその作品を作る過程でエヴァは「幾多の生もの」であり、僕たちが映像で見る作品は「加工品」に過ぎない。
その「エヴァの生もの」、つまりエヴァという作品に完成する前のグロテスクな状態を今回のドキュメンタリー、及び庵野を見せられて、「気持ち悪い」と僕は思った。
作品というエヴァは、まだまだ全然加工されたものだと感じた。
つまり、僕たち観客が食べやすいように、上手くエヴァを庵野たちが調理してくれたと感じた。
エヴァの加工前は、とてもグロイな、と・・・・。
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(それは何だろう・・・、現実の豚肉とか牛肉とか鳥肉とかと同じなのかもしれない。実際の畜産業を、今回のドキュメンタリーで見せられている感じだった。)
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例えるなら「ピラミッド」も、今となっては芸術品だが、それを創っている最中の労働者にとってはただの重労働、みたいな。
全然芸術ではなくて、もしかして明日死ぬかもしれないのに何か重いものを動かしているよね、的な。
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作品の創る過程。
それが今回のドキュメンタリーでまざまざと見せられていて、「大変」、というよりは、「グロイな」「気持ち悪いな」と思った。
女性器。
僕たち男性は女性が好きで、好きな女の子のまんこに自分の性器をぶち込みたい願望があるけれど、実際に女性器をまざまざと見ると、何だかよく分からない、グロイものじゃん。
その感覚に近いのかもしれない。
難しいというより、今回のドキュメンタリーを見ているとこっちの頭まで疲れてきて、結構しんどかった。
なので、エヴァという作品を作った監督としての庵野には知らないから心惹かれていたけど、実際にエヴァを作る過程の彼を見たら、「こわいな」「グロイな」「気持ち悪いな」と思った。
(笑)。
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