4月4日「青信号が信用できない自分と、小学生の頃の印象的な思い出を最近よく思い出す件について。」

「最近よく思う2つのことについて」

・・・・。

4月4日日曜日。時刻は午後1時。

一つ目は、これはすごく自分を表しているなあということ。

それは、「青信号が信用出来ない」、ということ。

確かこれは、数年前このブログかもしくは「頭痛男の生活」で述べたと思う。

「青信号が信用できない」。

これはすごく、僕らしいというか、頭痛男的僕らしいと思う。

どういうことかというと、ほぼそのまんまなんだけど。

車を運転していて、信号が青になっていても、進むことに対して「こわさ」というか、本当に進んでいいのか、本当に信号は青なのかって、疑ってしまう。

赤信号の場合、止まればいい。

赤信号を信用しなくても信用していても、止まっていれば、それは自分(車)は変化していない・動いていないわけだから、特に問題はない。(その時間、車内で漫画読んでるし)

しかし青信号の場合、もしそれが実際には青ではなく赤であれば、自分にすごい事故を引き起こしてしまうことになってしまう。

そういう、もしかして青ではなく赤ならばを想像してしまって、こわい。

この青信号を信用できないのには理由があって、まあこの頭痛のせいなんだけど。

「頭痛男の生活」の方で詳しく確か述べたと思うけど、この異常な慢性頭痛のせいで、いわば僕は永続的に意識を断続的切られている状態なのだ。

つまり、意識が→→→→→→→→→→という状態ではなく、→ → → → → → → → → →であたり、→痛→痛→痛→痛→痛→痛→であったり、「痛」によって意識の視界が断続永続的に遮られている状態。

なので、僕の場合青信号がずっと青ではなく、青 青 青 青 青 青 といった具合に、青と青の間にそれは時間にすると0.001秒とかの世界なのだけれど、青ではない時間がある。

なので、青信号が信用できなくて、運転がこわい。(運転免許ゴールドですけど)

・・・・。

・・・・。

・・・・。

もう一つの話題として、最近よく自分の頭に思い出させるのは、確か小学校の時の、学校行事で行った遠足みたいな感じのこと。

それで何があったかというと、その遠足の目的地に、同じようにどこか違う小学校から僕たちと同学年の団体に遭遇したのだ。

ある意味、それまでというのはその学校であったり地域だけが「世界」であったのが、世の中にはまるで「並行世界」のように、僕たちの学級みたいな世界が複数、いや無数にあるのだなと違う学校の団体と出会って、衝撃を受けた。

自分の所の学校の学級は大体20~30人いて、それぞれがそれぞれでその当時は個性があるなと思っていて、それだけがある意味この世のすべて・この世界のすべてと思っていたら、同じように20~30人の団体がいて、彼らの中には僕たちと同じようにリーダー的男の子がいて、足が速くてモテる男の子がいて、運動も顔も悪い男の子がいて、とても太った女の子がいて、勉強がすごく出来る女の子がいて、誰々と誰々は仲が良くて、誰々と誰々は喧嘩していて・・・。

そんな風な、ある意味その当時は「複雑」であり「多様」で、もうお腹一杯だよと思っていた社会が、それは単なる僕たちだけの世界・社会であって、同じようにそのような団体・ユニットが世の中には無数に存在していて、それが積み重なって、県があったり国があったり、はたまたworldがあったり。

ある意味それは、気持ちが悪くなった。

ある意味自分に自信がなくなったというか、ある意味僕たちは「クローン」じゃないかって。

自分たちの学級の団体が「個性的」だと思っていたら、そんなのは無数に存在する。

リーダー的男の子は向こうの団体の中にもいて、もしこちらのリーダー的男の子とあちらのリーダー的男の子が合わさったら、どちらかがリーダー的男の子ではなくなる。

それが僕たちと向こうの二つの団体ならまだしも、これが無数にあると思うと、もう僕たちっていらなくねって、思った。

自分の個性が一気に、しょうもないもの、他の団体と組み合わさったら、無個性になりうるものだと感じて、どうしようもなくなった。←www

・・・・。

・・・・。

その感覚・その思い出が最近やけによく思い出し、日頃の生きる上でその感覚を何度も確認しながら、その感覚をもとにして世の中や社会を見たりしている。

・・・・。

・・・・。

・・・・。