5月9日「雑誌ジャンプとネットのジャンププラスについて。」

普通。

特に書くことないけど、溜まっていること書いてく。

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5月9日日曜日。時刻は午前10時。

「今のジャンプが面白くないのは、ジャンププラスが良くなり過ぎたからでは?」

以前にこのブログ内で述べたように、今のジャンプでまともに読んでるのが呪術のみで、もう結構、ジャンプを買うかどうか迷うレベルにまで来ている。

それで、なんで今のジャンプはいまいちなのかを考えると、ネットのジャンププラスがかなりいいからでは?と思っている。

良く言われているかどうか分からないけれど、今のジャンプが面白くないのは少子化で漫画書き手が少ないから、という意見をたまに見るけど、それはう~んと思う。

プロ野球とかにもそういう考えがあって、普通に考えて子供の数が減っているから、野球やる人口も減っていて(野球人口は実際減少している)、だからプロに入ってくる選手に有望な選手が減るのでは?という推測があるけれど、意外とというか、あんまり変わってないのが実情らしい。

何だろう・・・、それは上の層の選手レベルは結局人が多くても変わらないのかどうか知らんけれど、そうなっている。(まあ、今のアマチュア野球の指導レベルがだいぶ昔より上がっているというのもあるけれど。)

結局今のプロ野球は実際、昔より高いもしくは同等ぐらいで、昔より下がっているとは言われていない。(でも最近、メジャー行っている選手ほとんど活躍出来てないよね。特に野手。その辺りも気になっていて、例えば元西武の秋山選手があんまりメジャーで成績残せないのは、なんだろうと思う。イチローとどれほど差があるのか。もしくはイチロー時代とメジャーの野球も変わったのか、など。でも大谷選手が今年打撃でめちゃくちゃ活躍していたり、ほんとその辺りは分からん)

話し戻して。

人口減少しているけれど、才能ある人の数はそれほど変わっておらず、それで何で今のジャンプは面白くないかということについて。

なので、どっちかというと僕は、今はネットのジャンププラスの方がジャンプっぽいと感じる。

つまり、ジャンプの方がどちらかというと「旧」な、少し時代遅れ気味のものになってしまっているのではないかと。

そもそも、ジャンプとは何かであったり、漫画雑誌とは何かの話になるけれど。

それは、つまり、時代に合わせて変わっていくもので、つまり、新しくなっていかなければいけないわけ。

つまり、ジャンプらしさとは昔のジャンプのようなものではなくて、「今の時代プラスジャンプ」なわけよ。(ジャンププラスとプラスジャンプとややこしくなっているが。←ww)

まあこのことは、ジャンプとか漫画雑誌に限らず、ほぼすべての物事に言えると思うが。

ジャンプらしさとはつまり、一見何か固定されたもののように感じるが(固定された、つまり本質的な部分はそうであるが)、実は違っていて、日々、時代と共に移り変わるものである。

変わらない本質に触れるためには、常に「新しき」が必要なのである。

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そういう意味で、今のジャンプは変わることが出来ていない、もしくはその変わるという役割をネットのジャンププラスに委ねてしまっている、感がある。

とはいっても、今のジャンププラスとジャンプを比べて、どちらが作品として形あるものかであったり、質の高い作品が多いかどうかでいったら、まだ全然ジャンプの方が多い。(それはやはり、まだジャンププラスは緩い。(その緩さが新しさを生んでいるのだが。))

ジャンププラスとかのネットの漫画は無料で読めて、まあ、言ってしまえば作り手と編集の方に雑誌の方と比べて「緊張度」が薄いと思う。

しかし、ネットの方が時代的本質を突いていることが多い。

ちょっとまとめる。

雑誌ジャンプ。

長所。緊張度が高いので、作品として「側」をしっかりしようという作りて・編集の想いが伝わってくる。

短所。雑誌ジャンプという枠に囚われ過ぎていて、時代性をおろそかにしがち。

またその時代性をジャンププラスに委ねてしまっている部分もある。

ジャンププラスが好調なのも、悪い意味で雑誌ジャンプに悪影響を与えている。(新しい時代の匂いを嗅ぎ取った書き手が、雑誌ジャンプよりジャンププラスに行きがち。)

 

ネットのジャンププラス。

長所。時代性を雑誌ジャンプより柔軟に嗅ぎ取り作品化している。「new感」が強くて、新しいタイプの漫画を生み出すことが出来ている。それは一番雑誌ジャンプが欲するところ。

短所。確かに売れていていい作品はたくさん生まれていていいのだが、雑誌ジャンプと比べると作品としての「側」が足りてないのが多い。ジャンププラスで書かれている作品を書いている漫画家がジャンププラスに挑むマインドでそのまま雑誌ジャンプに挑戦したら、どんな漫画が生まれるか気になる。(それの成功例としてチェンソーマンがあったりする。)

 

当たり前な話をするが、例えばスパイファミリーとか改造8号?だったけ?とかがそのまま雑誌ジャンプに連載して成功するかどうはもう全く別の話で意味がない。

あれはジャンププラスに合わせてそういった作品が生まれたのであって、そこは全然違うこと。

なので、一番いい話としては、ジャンププラスの精神と雑誌ジャンプの権威の融合なんだけど、それの長期的段階として、今はこうして雑誌ジャンプとジャンププラスを分けた、のではないかと。

今までネットジャンププラスがない中、雑誌ジャンプだけでやっていたのに行き詰まりを感じて、ネットのジャンププラスをやることでジャンプの新しさを探ろうとしたのでが、そうした結果雑誌ジャンプがおそろかになってしまった、新しさがどちらかというとジャンププラスに行ってしまって、より雑誌ジャンプが迷子になっている、という感じではないだろうか。

だから、ジャンププラスが成功し続けることで変な話雑誌ジャンプがどんどん力を失っていく、感じがしてしまう。

まあこれ、結構難しい話だけれど。

例えばジャンププラスの勢いを殺し、その辺りの作家を雑誌ジャンプに挑むようにやらせたら、合わない作家も出てくるし、つまりもう、ジャンププラスはジャンププラスである程度成立してしまっているのが、雑誌ジャンプの方向性に迷いを生み出しているのではないかと思う。

ただかと言って、雑誌ジャンプに「新しさという権威」を今後も持続させることは出来るだろうか。

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まあ、どうでもいいことにこんなよく長く語れるな、と思うが。←ww

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