8月12日「母が1年以内に死ぬか可能性も無きにしも非ず」

「母が1年以内に死ぬか可能性も無きにしも非ず」

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8月12日木曜日。時刻は午前9時。

数か月前に、自分の「喪失体験」とかで色々述べていたのはこのことであった。

数か月前に、母に「ガン」が発覚して、またそのガンがもう結構進行していた。

それで、数か月以内に死ぬ可能性はないが、1年以内死ぬ可能性はある感じ。

今すぐそのガンで死ぬ可能性は薄いが、数年以内とか、また生きたとしても5年10年とかは難しいだろう。

今の所どのぐらいで死ぬかは不確実だが、結構ガンが進行しているらしく完治することは難しく、例え生きたとしてもガンと付き合っていく感じになりそう。

実際抗がん剤の影響で、最近は入退院を繰り返しているのだが、もうハゲているというか、髪の毛が抜け落ちていたり。

そんな感じで僕にもまた、「親の喪失」という生きる人にとっては誰しもが通らなければいけない重大なことを経験のさなかにいる感じであった。

・・・・・。

おばあちゃんが死ぬことに関してはほぼ何にも思わなかった僕だが(失礼)、流石にやはり母の死という現実にはかなりこたえたというか、実際数か月前、何年振りかに泣いてしまった。

しかし、まあ・・・、徐々に慣れてきたというか、結局別れとかって、その別れの瞬間がピークであったりする。(旅の中の出会いとかもそれに通じる)

だから、今はまだ母は生きていて、これから消えてしまうことに悲しいだろうか、母が死んでも、それほど僕はまあ、母を忘れて?生きていける感じがしている。

それでもやはり、今の、そして今までの僕にとって、生きる理由の3~4割近くが母の存在であったと今回の経験で思った。

なのでやはり母が死んでしまうと、自分の存在意義が薄まるというか、自分のこれまでの生きることに対しての頑張りというのは3~4割は「母のため?」という意識のもとであったので、母が死んだらより一層、生きることに対してのやる気?みたいなものが、僕の中で薄らいでいくだろうな。(まあ、それは良いと言えば良いのだけれど。)

こういう経験をすると、改めて世の中や社会の見方が変わるというか、この世に生きるすべての人が、絶対に親の喪失は経験するので(自分が親より先に死なない限り)みんな、凄いなと思ったというか、街とか出歩ていると、みんな普通な顔して出歩ているが、みんな、色々なことを抱えて生きているのかなあと思ったり。

親を失っても、何かちゃんと前を向いて生きている人は、すごいなと思った。

生きている人って、凄いなあと・・・。

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また実際の所どちらかというと、母がいなくなることで面倒なのは家事が色々増えることだと感じた。

母の入退院の繰り返しの影響で、色々やらないといけないことが多く、最近食事もほぼ自分で作っている。(父の分は姉が作っている。僕は自分で作りたいので。と言っても鶏肉焼くだけだけど)

ご飯作るのってやっぱしんどくて、もし母が死んだら、僕は生協(コーポ)とかに弁当を頼もうかなあって思っている。

食事作るのって、ほんとしんどいよね、マジで、実際。

これはかなり苦痛。

なので普通に弁当頼んだ方が栄養もちゃんとしているし、500~600円程度でその役割を補ってくれるのは、めちゃありがたいと思う。

なんだかんだ言って、やっぱ食事を作るのが一番めんどいかも。

後のことは、掃除は自分の部屋はいつもルンバをやっているし、洗濯は今は僕はやってないけど、それほど、とか・・・。

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やっぱ食事が一番かな・・・。

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そんな感じで、数年以内に母がいなくなることも想定しながら、今後の僕を考えていかないとなあ・・。

「死ぬ」という選択肢は、当然ながら今の僕には全然ないけど、「虚構的な僕」は、さらに迷子になっていきそうで、どうかなあと・・・。(それでも今はどちらかというと幸せと呼べるかもしれないけれど。)

そういえば、最近この「日々徒然」の初期の方を暇なときに見直したりしてるのだけれど、約2年前に始まったこのブログだけれど、その初期はだいぶ幼いというか、その頃でも31歳なのだけれど、この2年でだいぶこのブログ内の僕も落ち着いたと感じた。

というか、やっぱ2年前はちゃんと週5で働いて、それが僕にとっては無理だったわけで、その無理さがあんな感じの幼さとして表現されてしまったのだろう。

やっぱり今の僕があるのは、ちゃんと休めているのが一番大きいと思う。

それなー。

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