8月7日その3「君とは誰なのか。この画面の向こうに、誰がいるのか。僕は誰に向けて書いているのか。君とは何なのか。君とは。僕とは。」

今日3回目の登場、一般的に、犬飼ユウですこんばんは。

今日の一つ目の日記の時(午後5時半)と比べたら、今の僕(午後7時半)はだいぶ頭痛に「制限」されてしまった。

あまり、「心の隙間」が空いていない。

あまり、「思考空間」が広くない・広がっていかない。

憎いぜ、頭痛。

・・・・。

そんなわけで、まずは今日の僕から。

今日の僕を書いたのち、本日一回目の日記の冒頭で触れていた、「君」についての説明をもう少し詳しく書いていこうかな。

君が、好きだから。←嘘です。

にゃははは。

ああ、やっぱり先に「君」についての説明からしていこうかな。

今はそういう気分。

コロリと変わる、僕の気分屋的気分。

「君」について。

画面の向こうの、「君」について。

この文章を読んでくれている、「君」について。

「君」とは誰か。

僕は一体、「誰」に向かってしゃべっているのか。

僕の想いは一体、「どこ」と「共有」されているのか。

君は「誰」か。

これらの問いってぶっちゃけ、僕たちの「本質」に、関わってきますよね。(本質って言葉、何となくかっこいいから意味もそんなに分からず使ってる。)

自己と他者。

自分と他人。

基本的に僕は、『繋がり』をあまり求めていない。

SEXはしたいっ!(その話は置いといて。)

いわゆる、自分以外の他者と、想いをあまり「共有」し合いたくない。

他人と自分が同じ光景を見て、同じ光景を脳裏に浮かべているのがあまり好きじゃない。

面と向かって話をして、「共感」「共有」を楽しむことが俺はあまり好きではない。

自分の想いを、あまり他人に見られたくない。

(他者の想いを他者に知られず覗き見するのは僕は好きだが。)

総じて、僕はあまり「繋がりたくない」。

同じ体験をして、他者に自分と似たような想いを抱えていると思うと、少し居心地が悪くなる。

他者もまた、他者の「思考空間」があることを考えると、少し眩暈(めまい)がする。

他者にもまた、自分と同じく頭の中に「宇宙」があると思うと、少し疲れる。

想いとは、「動的」なのだ。

僕は僕以外は、『止まっていて欲しい』。

僕の思考を「成立」させるまで、静かにしていて欲しい。

僕が「結論」を出すまで、それ以上動かないで欲しい。

あまり、想わないで欲しい。←ww。ムチャクチャや。

僕は、「納得」するのがとても好きだ。

僕は僕の想いで「解決」するのが好きだ。

すべては捉え方次第。

すべては考え方次第。

一つの結論を出すのはもったいない。

一つの結論を出すことは、一つの自分を殺すことになる。

答えは複数であって欲しい。

僕は僕の中で終わらなく思考し続ける。

昨日結論出したものが、今日新しく入った情報で簡単に覆っていく。

思考空間は、一つじゃない。(ついてこれてる?w)

だから宇宙。

僕たちの一つの頭の中には、複数の世界がある。

僕たちの一つの頭の中には、何通りもの世界がある。

たくさんの「IF」が、僕たちの頭につまっている。

たくさんの「世界線」が、僕たちの頭の中につまっている。

今という時間軸において、自分以外はすべて、自分の想いのための、いわば『エサ』だ。

この世界は、止まっている。

この世界は、自己と他に振り分けられている。

自分以外は、「他」しかない。

自分以外は、「君」しかいない。

自分以外は、自分の想いをたゆませる・豊かにさせる、「エサ」でしかない。

僕たちは繋がっていながら、お互いひとりひとりで「完結」し合っている。

僕たちはお互いを「絶対に」必要しながら、かつ最終的には自分ひとりで「完結」させていく。

君を必要としながら、僕は君を必要としていない。(なんかかっけ~~←ww)

君と僕とは、そういう関係だ。

お互い、「エサ」なんだ。

お互いがお互いを満たすための、「エサ」なんだ。

あまり、君本体を、僕は必要としていない。

あまり、君の想いを僕は必要としていない。

君は僕にとって、僕以外であり。

君は僕にとって、僕を成り立たせる「全体」であり「全体の一部」なのだ。

(書いてて、少し分からなくなってきた。←ww)

直接的な君は、僕は必要としていない。

しかし君が死んでいては、今現在の僕の想いは成立できない。

君が生きている前提で、今日の僕の想いは成立していく。

だから僕は、君が必要だ。←は?w

まるでお互い、「概念」のようだね。←ww

でも実際、そういう方が、僕は好きなんだ。

直接的な、面と向かってのコミュニケーションは、僕はあまり出来ないし、あまり必要としていない。

それにあまり価値を見いだせない。

それにあまり、「繋がり」を見いだせない。

(そもそも繋がりなんて独善的?だし。繋がりなんてひとり想いのことだし。)

むしろ繋がる必要ないというか。

というかその前に「すでに、繋がっている」というか。

会う前に僕たちは繋がっているというか。

その存在を知る前に、僕たちは「共生」し合っているというか。(このクソ文章についてこれるか・・・)

君を必要としながら、僕は君を必要としていない。

すでに僕の中で、君は存在している。

僕の中の君は、日々生きるごとにアップデートされていく。

この世の中にいる君。

この世の中に生きている「みんな」。

僕以外の、「他者」。

僕の想いを成り立たせている、「僕以外」。

SEXはしたい。←w

しかしSEXをしている時の、君の「想い」はいらない。

僕は、僕の想いで一杯一杯だから。

僕は、僕の想いを満喫するだけで一杯一杯で幸せだから。

生きている他人の想いなんて、少しうるさくて邪魔。

他人の想いを干からびさせたり煮たり焼いたり冷やすことで、僕は他人の想いを僕の想いに取り込んでいく。

人としての君は、あまりいらない。

概念としての、美味しい情報としての、今日とは何か・生きるとは何かの情報としての「君」は僕は必要としている。

僕は僕の想いの中で「完結」している。

その想いを完結させるために、今を生きている「君」が必要。

それだけのことさ。(決まった~~)←ww

そんなこんなの、「君理論」でした。

にゃはは。

君は情報の一部。

僕たちはお互いが情報。

僕たちは全員、「不安」という爆弾を抱えている。

それを処理するため・それを解決するため・それを鎮めるため、僕たちは「今」という情報を欲している。

君からは多く、「今現在」の情報が取れる。

同じ人である。

同じ、「想い人」である。

それが僕たちの、不安を取り除くヒントとなる。

それが僕たちの、安心を獲得するカギとなる。

僕たちはなかなか、ひとりの宇宙では想えない。

僕たちはなかなか、自分ひとりの「思考空間」では多次元的に思考できない・想えない。

今を生きる他者がいて、僕たちは不安を取り除く思考が出来る。

今を生きる同じ「情報体」がいて、僕たちはそれをヒントにして思考を「展開」させていくことが出来る。

君がいるから、僕がいる。

君の想いがあるから、僕の想いが展開していく。

僕たちは繋がっている。

出会う前に、その存在を知る前に、僕たちはある程度、繋がっている。

繋がってないようですでに繋がっている。

これが「君理論」。

これが究極的な、「おちんこおまんこ理論」。

SEXはしたい。

しかし、すでにしている。

・・・・。

んなわけねーよ。

・・・・。

にゃはは。

一旦休憩。

まだやる気があるなら、何か書く。

今日会社休んで健康診断の追加検査を病院でやってきたこととか書く。

会社休むって、最高。

おつかれ。

 

追記

やっぱ頭的に、3本ぐらいが僕が一夜に出せる量かな。

これ以上文章書くと、頭パンパンでまともな文章書けない。

うん。

おつかれ。

そして、おやすみ。

 

さらに追記。

部屋の整理を今日少しした。

お盆休み前にやる量を出来るだけ減らすため、今のうちにやっている。

部屋を常に、整理したいと、大型連休近くに思う。

 

さらにさらに追記。

今、NHKで放送してる、サンドウィッチマンの「病院ラジオ」、いいよね。

いい感じに、「残酷で」、震えるね。

それでは。