繋がりって、何?
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10月26日月曜日。時刻は午前8時半。
やれやれ仕方なく、生きるを再始動し始めた犬飼ユウで。
その生きるを稼働させていくには、「繋がり」が必要。
それで改めて、繋がりって、何?っていうお話。
そこをちゃんと定めておかないと、すべてが狂っちゃうわけで。
他人を求めているのは分かる。
繋がりとは、他者の求めであることは分かる。
それなら、どう「実践」させていくのか。
どういう現実的な繋がりを、僕は求めていくのか。
どうすれば、強く繋がれるのか。
または、どうすれば、強く繋がっていると「錯覚」出来るのか。
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・・・。
ここ2・3か月の、女の子との出会いを通じて感じた、僕が求める「繋がり」とはを考える。
満たされている人は、それ以上の満たしを、今のところ必要としていない。
繋がれている人は、それ以上の繋がりを、今のところ必要としていない。
満たされていない人が、それ以上の満たしを必要としている。
繋がれていない人が、それ以上の繋がりを必要としている。
だから、繋がれていない人が、繋がれている人に繋がりを求めても、繋がれないのではないかって、感じている。
不幸な人が、すでに幸せな人に繋がりを求めても、それはなかなか繋がれないのではないか、と、ここ2・3か月の出会いで、僕は感じている。
予定が詰まっている人の、時間を割くのは、なかなか難しい。
友達がたくさんいる人と、さらに友達になるのは、なかなか難しい。
だから、「寂しい人」の方が、繋がれるのではないかって。
それは、お互い様に。
学校の班分けで、グループを作れない者同士がグループになるように。
寂しいと手を挙げたもの同士、グループを作った方が、寂しさを補えるのではないかって。
満たされている人は、時間が無い。
僕にも、都合がある。
というか、生きる人すべてに、都合があって。
大抵の人は、「自由な時間」というのが、少ないんだ。
みんな、少ない時間の中を、やりくりしている。
1から関係性を築こうとした場合、満たされている人は、無闇に人間関係を増やさない。
そんな時間、ないから。
すでに友達がたくさんいる人は、友達との一緒にいる時間で、すでに自由な時間を使い切ってしまうから。
だから、寂しい人。
寂しい人は、寂しい人を求めて繋がりを求めていった方が、お互い、いいのではないかって。
寂しい時間が余っている人を求めた方が、お互い、寂しさを埋められる時間は多く作れるのではないかって。
寂しい・・・。
隙間を埋めたい。
隙間、ね・・・。
「会うこと」だけが、繋がりではない。
「出会うこと」だけが、繋がりではない。
繋がりとは、お互いの存在を、知っていること・分かり合っていること。
お互いの寂しさを、共有すること。それが繋がり。それが繋がりの効用。
僕の、繋がれる時間はいつか。
平日なら、夜で、土日は予定がないのなら、ほぼいつでも。
寂しさを隙間で埋めていく。
隙間を寂しさで埋めていく。
寂しい人は、おそらくいる。
僕は、僕の都合のいい時に、寂しい人を、求めればいい。
繋がりとは、出会うことだけではない。
寂しさを共有できれば、繋がっていく。
繋がることで、お互いの寂しさを感じ取っていく。
まずは、繋がること。
繋がって、自分がどれくらい寂しいのか、感じ取っていく。
繋がって、自分がどれくらい隙間があるのか、感じ取っていく。
誰を必要としているのか。
何を必要としているのか。
繋がりとは、出会うだけではない。
お金を通してではなく、人として。
お互いの寂しさを補える、人として・会話相手として。
そういう人を、僕は少し、求めてみようと思う。
「具体的な実践方法」については、実践してみて、ある程度の結果が出たら、報告しようと思う。
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