10月28日その3「繋がりとは何か。みんなどれくらい寂しいのか。」

繋がりって、何?

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10月26日月曜日。時刻は午前8時半。

やれやれ仕方なく、生きるを再始動し始めた犬飼ユウで。

その生きるを稼働させていくには、「繋がり」が必要。

それで改めて、繋がりって、何?っていうお話。

そこをちゃんと定めておかないと、すべてが狂っちゃうわけで。

他人を求めているのは分かる。

繋がりとは、他者の求めであることは分かる。

それなら、どう「実践」させていくのか。

どういう現実的な繋がりを、僕は求めていくのか。

どうすれば、強く繋がれるのか。

または、どうすれば、強く繋がっていると「錯覚」出来るのか。

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ここ2・3か月の、女の子との出会いを通じて感じた、僕が求める「繋がり」とはを考える。

満たされている人は、それ以上の満たしを、今のところ必要としていない。

繋がれている人は、それ以上の繋がりを、今のところ必要としていない。

満たされていない人が、それ以上の満たしを必要としている。

繋がれていない人が、それ以上の繋がりを必要としている。

だから、繋がれていない人が、繋がれている人に繋がりを求めても、繋がれないのではないかって、感じている。

不幸な人が、すでに幸せな人に繋がりを求めても、それはなかなか繋がれないのではないか、と、ここ2・3か月の出会いで、僕は感じている。

予定が詰まっている人の、時間を割くのは、なかなか難しい。

友達がたくさんいる人と、さらに友達になるのは、なかなか難しい。

だから、「寂しい人」の方が、繋がれるのではないかって。

それは、お互い様に。

学校の班分けで、グループを作れない者同士がグループになるように。

寂しいと手を挙げたもの同士、グループを作った方が、寂しさを補えるのではないかって。

満たされている人は、時間が無い。

僕にも、都合がある。

というか、生きる人すべてに、都合があって。

大抵の人は、「自由な時間」というのが、少ないんだ。

みんな、少ない時間の中を、やりくりしている。

1から関係性を築こうとした場合、満たされている人は、無闇に人間関係を増やさない。

そんな時間、ないから。

すでに友達がたくさんいる人は、友達との一緒にいる時間で、すでに自由な時間を使い切ってしまうから。

だから、寂しい人。

寂しい人は、寂しい人を求めて繋がりを求めていった方が、お互い、いいのではないかって。

寂しい時間が余っている人を求めた方が、お互い、寂しさを埋められる時間は多く作れるのではないかって。

寂しい・・・。

隙間を埋めたい。

隙間、ね・・・。

「会うこと」だけが、繋がりではない。

「出会うこと」だけが、繋がりではない。

繋がりとは、お互いの存在を、知っていること・分かり合っていること。

お互いの寂しさを、共有すること。それが繋がり。それが繋がりの効用。

僕の、繋がれる時間はいつか。

平日なら、夜で、土日は予定がないのなら、ほぼいつでも。

寂しさを隙間で埋めていく。

隙間を寂しさで埋めていく。

寂しい人は、おそらくいる。

僕は、僕の都合のいい時に、寂しい人を、求めればいい。

繋がりとは、出会うことだけではない。

寂しさを共有できれば、繋がっていく。

繋がることで、お互いの寂しさを感じ取っていく。

まずは、繋がること。

繋がって、自分がどれくらい寂しいのか、感じ取っていく。

繋がって、自分がどれくらい隙間があるのか、感じ取っていく。

誰を必要としているのか。

何を必要としているのか。

繋がりとは、出会うだけではない。

お金を通してではなく、人として。

お互いの寂しさを補える、人として・会話相手として。

そういう人を、僕は少し、求めてみようと思う。

「具体的な実践方法」については、実践してみて、ある程度の結果が出たら、報告しようと思う。

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