犬飼ユウ写真「19のままさ。(11月2日。東京旅行2日目。)」

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東京旅行2日目。

上野→代々木へ。

実は・・・、というか・・・。

僕、大学へは「現役」へは行かず、一年「浪人」していたのね。

それで、名古屋で浪人したのではなく、浪人を、東京でしたの。←www

親の金を使って。

親の金を使って、東京で浪人した。

たぶん、かなりの金額だ。

それで結局、大学は1年も満たないまま、辞めてしまったのだけれど(負い目)。

それで、浪人は、代ゼミの寮でした。

東京旅行2日目はまず、僕が浪人していた、「代ゼミ寮」へと向かうとこから始まる。

ぶっちゃ、楽しかった。

親の金を使ってのことで、何なんだが、親から離れて、東京で寮に入って浪人生活を送るのは、だいぶ「心休まった」。

やっぱり、なんだろう、僕は、「地元を・親を、離れたかった気持ち」が、当時めちゃくちゃあったのだと思う。

自分とは何か。

それはやはり、親から一度切り離さないと、掴むことが出来ないと思う。

それを、親の金を使ってやるって(笑)、なんだが。

でも、幸せだった。

親を離れて地元を離れて、ひとりになって、知らない土地にいることが、かなり幸せだった。

19の時、僕は東京にいた。

それは今の僕にとって、心の支えになっている僕がいた時だ。

僕は、19~20歳ころの、僕が好きだ。

何故なのか。

それはたぶん、その頃の僕が「果てしなく自由」を、感じていたからではないか。

それを言うのは、少し無理があるのかもしれないけれど。

その頃の僕って、何にでもなれそうな気がしていたから。

それは、少し言い過ぎかも。

だけど、すごく、幸せだった。

これから、20代を経験出来ていくということが。(結果として、最悪の20代になったわけだが。←www)

自分はこれから、どうなっていくのか。

親から解放されて。

地元から解放されて。

自分はどう、「変化」していくのか。

自分の未来が、すごく、ワクワクしていた、僕の19~20才。

その頃の僕が、僕は一番好きだ。

30を過ぎた僕は、その頃の僕を、どこか追って、生きている気がする。

あの頃の自分を、「裏切ってはいけない」。

その想いが強くて、僕はまた、このブログを作りながら、自分を「生かそうと」しているのかもしれない。

生と死は、それほど価値が変わらない。

そう思っていながらも、生きようとしている矛盾。

今の僕は、どちらでもいい。

ただ、19~20才の頃の僕は、あまり死にたくなかったはずだ。

中学・高校の頃の僕は、割と死にたい僕だったけれど。

人生の中で、やっと生きたいと思えた時間・時代。

その頃の僕を、探して。

それをテーマにして、今回の東京旅行は始まった。

それだけ。

ふふふ。←www

やっぱ、旅っていいよね。

それな。

金で買える、思い出の思い出し。

それな。

やっぱ、金って、割と最強の部類だわ。

それな。

な。

てか、今日、東京旅行の写真、ぜんぶ載せ終わるのか?←ww

夕方、クロマニヨンズのライブ行くから、それまでずっと書く予定だけど。

意外と、写真に添える文章が長くなって、割と疲れてしんどくて、一旦オナニーしたい。←ww

オナニーしたいオナニーしたいオナニーしたい。

女が欲しい。←www

オナニーよりも、女に射精したい。←ww。

それ~~。

どんだけ~~。

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代々木駅前の交差点。

そんな変わってないのが、割と嬉しい。

 

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代々木駅から新宿の紀伊国屋書店へ向かう道に、浪人自体によく行っていた「カレー屋」があったのだけれど、なくなっていた。

まあ、10年って、そこそこ長いからな。

変わるわな、色々。

無くなるわな、色々・・・。

 

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ここも、なつい・・。

 

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実は代ゼミは、僕が浪人していた時のすぐ直後ぐらいに、代ゼミのビルは少し「移転」している。

なので、僕が通っていた代ゼミのビルは、たぶんもう、使っていないのでは?

今回行った時は、旧代ゼミビルは閉まっていたし。

僕が浪人自体通っていた寮は、「世田谷」近くにある。

その寮も実は、僕が浪人していた時のすぐ直後ぐらいに、閉鎖されている。(実際このあと観に行くのだが、無くなっていた。)

悲しい・・・。

とりあえず、旧代ゼミ寮跡地へと向かう。

 

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というかさ、「思い出の地」が、自分にあるのって、いいよね。

うん。

数年・数十年後の楽しみが増えるというかさ・・・。

だから、やっぱり、一つの箇所に留まっているのは、もったいないんじゃないかな。

老後のためにも。←www

別にそこまでして、生きたくはないか・・・。

今の僕にとって僕は、ただただ「死を延長」しているだけというか・・・。

だから、美しい作品を残して、若いうちに死ぬアーティストは、僕は綺麗だなと思う。

いずれ皆、無意味無価値に死ぬのだから。

すでに美しい作品なりを残して、自分の生きた痕跡を残して、そして身体的に若く美しいまま死んでいくのは、「綺麗」だなと、僕は思う。

なんで、そんなに無理して、僕たちは生きたいと思ってしまうのだろうね。

その先に、それほど「希望」はないでしょ。

老後のことを考えてとか、何か少し、馬鹿らしくさえ、思えてくる。

だって、若い時の体験の方が、割と「奇跡」でしょ。

若い時以上の経験っておそらく、年をとったあとに、出来ないでしょ。

僕の場合は、20代、おそらく10代も、ほぼほぼ暗黒だったから。

ほぼほぼ、楽しい思い出がなかったから。

だから今、楽しいことをやろうとしている。

老後のことなんて、全然考えていない。(と言って、無駄に散財するつもりもそれほどないけど。)

20代が、全然楽しいことなかったから、今、したいことがそこそこあるから、それをしたい。

僕は今、それだけで、生きている。

てか、文章長いンゴ・・・。

それだけ、今回の旅は、僕の想いが詰まっているということか・・・。

こうやって、1週間経って振り返っても、本当、楽しい。

もう1回、今回の旅をしたい。←www

うん。

やっぱ、自分の思い出がある場所って、世界遺産より素晴らしい遺産だな。

というより、「好きな自分」がいる場所があるって、素晴らしいな。

それを、19歳の時に決断できた自分に、褒めてあげたい。

よく、東京でひとり、寮で浪人しようと思ったよな。

それほど、追い込まれていたという感じか・・・。

ふふふ。

文章、なげーよ・・・。

 

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この道なんか、僕にとってかなり「激アツ」な道。

代々木駅から、小田急線の「南新宿」に向かう道。

代ゼミ寮は、「豪徳寺」にあるので、南新宿から、豪徳寺に向かう。

 

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豪徳寺へ。
俺の豪徳寺へ。

俺だけの豪徳寺へ。

何か、豪徳寺駅へ着いた瞬間、めちゃくちゃ「幸せ」だった。

軽く、「パワースポット」のような。

冷静に豪徳寺とか世田谷を散策して思ったんだけど、豪徳寺とか世田谷とかの、いわゆるここは、「世田谷」になるのかな。

世田谷地区って、やっぱだいぶ、東京の中でも、「癒し」の空間なのでは。

何か、「ほんわか」しているよね、世田谷あたりって。

あんま、東京東京と、うるさくない。

そういう、なんだろ、「エアポケット」的な場所、僕、好きなんだよね。

一息つける場所というか・・・。

人混み混みした場所って、自分を失いがちじゃん。

なんか、人多い場所って、自分が、よく分からなくなっちゃうじゃん。

人が少ない所の方が、落ち着けて自分を「守れる」というか・・・。

人が多い場所だと、自分の価値観が「ブレる」んだよね。

冷静に判断が出来なくなる。

だから、人が多い所は、割と嫌い。

嫌いなんだけど、・・・、またそれも求めている部分の僕もいる。

人が多い場所と少ない場所。

僕はどちらも求めている。

ちんちん。

まんこ。

全員、死ね。(←は?←www)

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豪徳寺駅から、旧代ゼミ寮へと向かう道。

ほんと、歩いていてほっこりする。

また行きたい。

今度は、彼女を連れていきたい。

彼女、いないけど。←www

彼女が出来たら、また、豪徳寺に行きたい。

 

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てか、旧代ゼミ寮って、もうなくて。

だから、地図で出てこないんだよね。

自分の記憶を頼りに、行くしか無くて。←www

覚えている道はあるけれど、途中で、少し迷った。←www

 

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覚えていたのは、確か旧代ゼミ寮の近くには、「小学校」があって。

それで、少し迷った後、見つけた。

小学校の名前は今調べたら、「世田谷区立城山小学校」。

そんで、近くを歩いていたおばあさんに、この辺に昔、代ゼミ寮ありましたよって聞いたら、やっぱりあって・・・。

 

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代ゼミ寮があったのは、この道。

だけどやっぱり、もう寮は残っていなくて。

寮があった土地は、アパートになっていた。

ここに、10年前の僕はいた。

この道を、10年前の僕は歩いていた。

19の頃の僕は、ここにいたんだ。

それだけでなんか、泣けてきた。

僕は、どこにいるんだろう。

僕は、どこに向かっているのだろう。

この10年というのは、何だったのだろう。

一瞬だった、ような・・・。

割と長く。

割とずっと、「もがいて」いたような・・・。

暗黒暗黒と言っている、僕の20代だけれども。

それほど、「最悪」とは言えない。

何故なら、「今」があるから。

20代前半は、頭痛のせいで、マジで先が見えない状況だったけど。

30近づくにつれ、一種の「諦め」が生じて。

この病気を抱えたまま、僕は生きなきゃいけないんだなって。

それは軽く、「絶望」なのだけれど。

絶望も、慣れてしまうものなのよね・・・。

にゃるの・・・。(←どういう意味?←ww)

・・・。

一旦ここで区切って、また続き書く。

今度は旧代ゼミ寮周辺について。

僕は浪人自体、夏までにほぼ、勉強が終わってしまって。

マーチに受かれば、最低それでいいと思っていたから。

また、それ以上の勉強の精査は、僕には難しかったから。

実は僕は、元早稲田大学生です。←wwww

なんだけど、浪人時の模試とかでの早稲田合格確率は、60%ぐらいで。

それ以上の勉強って、僕は出来なかったんだよね。

割と知識とか、中途半端に完結させてしまって。

そこからもう一度知識を組み立てるには、もう一度知識を再構築しなくちゃいけなくて。

僕としては、東京の大学に行けて、地元から離れればそれでよかったから。

早稲田に行きたかったけど、まあ、落ちてもしょうがないかなと思っていて。

で、早稲田は3つぐらい学部を受けて、1つだけ受かった。

よかおめ。

ということで、たぶんブログでは初発表だと思うけど、僕は元早稲田学生です。

そんな感じだよね。←www

すごく、「馬鹿」っぽいのが、すごく似ているというか・・・。

早稲田って、地方の馬鹿が集まる感じじゃん。←www

東京に憧れる田舎者のイモっぽい人が、集まるところじゃん。

ちゃんとしている人は、慶応行くし。

そもそも文系私立なんて、ちゃんとしている人は行かないし。

文系私立って、何か、どうなんだろうね・・・。

大学として、成立しているのかな?←ww

ほんと、「国立」とは、全然違うよね。国立向けの勉強したことないから知らんけど。

文系私立って、実質「英語」だけだから。

国立は凄いよね、マーク式じゃないし。

ちゃんと、自分の言葉で解答してるし。

まあ、いっか、そんなこと。←wwww

じゃあ、一旦区切ります。

続く。