「「諦める」ということについての考察。」
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3月5日金曜日。時刻は午後7時。
最近もそうなんだけど、何か僕の人生において、この「諦める」ということが、よく分からないけれど自分の「好転材料」へと向かうことが多い。(特に印象深いのは大学浪人時代。)
結局何だろう・・・、自分にとって一番の悪というか、ダメな時というのは、何かに「囚われている」時だと感じる。
それはある意味、自分が好きなものであったり、熱心であったりするものであったり。
そういう、自分が好きなものが、いつしか自分を蝕んでいることが結構多くて、だけど熱中している時にはそれに気づけなくて、それを諦めた時、それはとても辛くしばらくは「絶望」が続くのだけれど、絶望が終わると「新たな視点」に出会えるというか、こういう方向から見たら、物事はこう見えるよねってことが、僕の場合多い。
諦める。
それはある意味、また「もう一人の自分」に出会うようなもので、諦めてまた、何か新しいことが始まったり、新しい自分を見つけれたり。
「諦める」ということが、何か僕の人生を振り返ると、そう悪いようでも見えない気がする。
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