1月17日その2「20代の何も無い自分を追いかけて」

Noteで書いているものについて。

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1月17日金曜日。時刻は午後11時。

というか、これは眠れない人のための音楽解析からそうなんだけど、ある程度文章を書いたら、それ以上は書けないな。

1日に書ける量に限りがある。

土日とか、休みだからと言って多く書けるわけではない。

また、今までの文章ほぼすべて、「夜」にしか書けない。

おそらく、よく男は死ぬ前に生殖本能がすごく芽生えるとか聞くけれど。

僕が文章を書くのも、それに近いのかもしれない。

眠るとはいわば「死」で、自分が何者でない状態で死ぬのがひどくこわいから、だから夜に「アウトプット」出来ているのかも。

最近僕は、アウトプット最強アウトプット最強とほざいているけれど。

それは学校のテスト勉強にも似ていて、「追い込まれた状況」でないと、僕もアウトプット出来ない。

だって僕は基本、この頭痛を抱えた状態だと、『何もしたくない』という想いが一番強いのだから。

出来るのなら、何もしたくない。

ただひたすら、ベッドに横になり続けていたい。

しかしその想いを越えて成し遂げたいものがあるから、こうやって文章を書いているわけで。

ぶっちゃけ「痛い」し。

ベッドに横になって目を閉じれば、頭痛も和らいでいわば「天国」が待っている。

文章を書くことは目を開けていることで頭が痛くなるし、さらに文章を書けば頭を使うわけでさらに頭が痛くなるし。

これっていわば、男にとって「女」という存在にも似てるなと思う。

男なんて、死にたい死にたいと言いながらも、いざ目の前に「美女」がいたら、もう言うこと思うこと「180度」変わる。(あくまで僕の場合)

それまでの死にたい死にたいという想いなんてなんのその、そこに美女がいれば「めっちゃ生きたい」に変わっていく。

基本僕はベッドに横になって目を閉じていたいが、目の前に美女がいたらもちろん目を閉じていたくはない。

ようは、現状よりも幸せな状況があれば、人はそこに飛び込んでいける。

今の不幸せな状況なんて、「思い込み」でもあるとも言える。

不幸な自分に「酔っている」ともいえる。

・・・・・。(何の話をしていたっけ・・・)

noteの話をしたいんだった。

この「日々徒然」とは違った形で、今週から「note」でも気持ち良くアウトレットすることが出来るようになってきた。

先週までは綺麗な文章を書こうとして必死でだいぶ頭痛くて、これ書けないなと思っていたけど、今週になって肩の荷が降りて、だいぶ「何も考えず」文章を書くことが出来ている。

あとは文章の書く量を増やしたいんだけど、前の方に述べた通り、一定数書いたら、疲れてしまう。

あと、アウトレットってやっぱり、今日自分にあった出来事からの「鏡」のような気がする。

つまらなくても会社に行った平日の方が、スムーズにアウトレット出来ている気がする。

土日とか、会社に行かないと頭痛男である自分が薄れるからだと思う。

働いて、自分がやっぱ「異常」なんだと「鮮明に」思うことで、家に帰ったからの文章のスムーズに書けていく。

土日って、僕、ほぼほぼ「人」と接しないから。

やっぱりそれがよくないんだな。

はあ・・・。

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そんな感じです。

Noteに書く文章の量を増やしていきたい。

土日に多く書きたいけれど、どうなんだろう・・・。

とりあえず「筋トレ」をしていきたい。

はあ・・・。

他にもまた違うことを今日思ったんだけれど、また忘れてしまった。

noteの方でもそうなんだけれど、僕はまだまだ、自分を「表現」し切れていないなと思う。

何か、僕は別に「かわいそうな存在」と見られたい訳じゃない。

だけど、自分を初めからアウトプットしようとすると、「惨めな僕」をまず表現していかないと僕の心が収まらないから。

だから今のところnoteでは、クッソ陰キャな僕をまざまざと見せつけられている。(それが僕の正体なのかも)

もっともっと自分を顕して、その先にどんな自分が現れるのか、それがすごい楽しみ。

しかし、というか・・・。

ほんと、ここ最近になって僕はようやく自分を吐き出せているよな。

30歳を越えて、やっと・・・。

何でもっと、自分を吐き出せてこなかったのだろう。

それはおそらく、「20代」というのが僕の「財産」になっているのではないだろうか。

何も無い20代だったけれど、・・・。

10代の何も無いとはまた、違う気がする。

20代の何も無いとは、一体何だったのだろう。

それを追いかけて、31の僕は生きている気がする。

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