他人への介入こそが僕の人生の中で一番足りてない部分だし、また避けていた部分だし、また、興味ない部分であった。
そこね。←ww
・・・。
5月6日水曜日。時刻は午後2時過ぎ。
そこね。←ww
自分の人生にそれほど興味はないが、これからも生きて行くと考えた場合、自分がこれまでしてこなかったことをすることで、空いているこれからの人生を埋めていけるのではなかと思う。
僕のこれまでの人生とは圧倒的に独りだった。
それはこの頭痛が「加速」させた部分もあるが、まあこの頭痛を発症する以前から、僕はどこかひとりを欲する人間であった。
それに後悔はないし、それほどなにも湧かない。←ww
僕は自ら望んで、こういう自分を歩んできたのだと思う。
思うに、僕はどこか、歩くのが下手だなと思う。
変に自分の想いに偏り固執し、それが最大の「近道」だと思っても、全く行くべき目的地とは違った方に向かっているような。
僕は一般的な「人付き合い」や「コミュニケーション」が欠けている。
自分の性格を一番端的に言えば、「一歩引いている」。
それは望んでだ。
僕は誰かとワイワイしているより、そのワイワイを遠くから眺める方が「好き」なのだ。
僕は「見ていること」が好きで、その輪の中に入ることが苦手で、また好きではないのだ。
僕は観察していたい。
僕は外から、その光景を眺めていたい。
ただやはり。
今になって、いや、これまでを振り返りこれからを想い。
ある程度、「変わりたい」と僕は思う。
かと言って、今までを否定し、今までのようには生きないとは少し違う。
僕は相変わらず、自分のこの性格が好きなのだ。
ただ、少し、「改変」していく。
少しだけ自分のこの性格を「調整」していく。
そうしたいと思うのは、簡単に言えば今の自分に『飽きた』から。
つまらなくなったから。
違う「景色」を観たくなったから。
だから少し、「変化」していこうと思う。
何をやるのかというと、他者への介入。
ただその気持ちは昨日とか述べた通り、休みの日は起こらない。
本質的な僕は、何もしたくないし誰とも話したくない。(少し違う。でもまあ、これでいいか。←ww)
だから、おそらく、今日でGW終わるので、明日仕事が始まれば、僕の「他者への介入」が始まっていくと思う、たぶん。
こうやって久しぶりに長い休みをもらうことで、本質的な自分が分かる。
会社に行かなければ、僕は変わろうとさえ思えない。
会社に行くことで、会社というコミュニティがあまり好きではないことで、新たなコミュニティを求めようとする。
会社という存在が、いい反発の「磁石」となってくれている。
そういう意味で、会社はありがたい。
反面教師?的な役割をしてくれるから。
やりたくないことをやることで、やりたいことに強い「色」を塗ることが出来る。
4、5年前に今の会社に働き始めて、それまでは引き籠ったりバイトしたりしていたが、その時の自分が変われなかったことの理由がわかる。
「反発するもの」があって、はじめて僕は「行動」出来る。
引き籠ったりバイトしたりでは、自分の現状に満足してしまっているのだ。(それがある意味、自分の望んだものでもある。)
反発するものが、欲しい。←www
そうしないと変わろうという意志は僕の場合生まれない。
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・・・・。
・・・。
話変わるけれど、僕は「歴史」が好きだと、「映像の世紀」を見ていて改めて思った。
フィクションが、あまりもう興味がなくて。
歴史、特に世界史ってやっぱおもろいな。
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・・・。
・・・。