9月9日「祈りについて。(祈りと依りの話の続き。)」

「祈り」について書いていく。

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9月9日水曜日。時刻は午前10時。(仕事は?←ww)

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今まで何度か、「祈りと依り(と、そして神)」について説明したけど、今回は「祈り」についての説明。

「祈り」について、あんまり詳しくはおそらくまだ解説していないだろう。

主に「分析」と「観察」の、『依り』をまずは僕は重要視していて、基本的な日常では、「依り」を頭に置いて考えることが僕は多かったから。

だけど、より高尚な、というか・・・、なんて言うんだろう。

変な言い方だけど、「救われるため」には、祈りというものがとても重要だと考えている。

「祈り」というものに対して、色々な解釈もあって、どこから語っていこう。

基本的な、僕が日常的に使う祈りとしては、「気づきの祈り」。

それはつまり、一般的においては、「禅」であったり「マインドフルネス」に近いのではと思う。

具体的な例を出してこの「気づきの祈り」を説明すると、皆さんも一度今、両手を合わせて、神様に祈るように「祈りのポーズ」をしてみて下さい。

その時別に、「対象」がいなくてもいいです。

つまり、「崇拝する対象」がいなくても、とりあえず「祈りのポーズ」をしてみて下さい。

そこで重要なのは、「目を閉じる」こと。

つまり、情報を一度シャットアウトすること、視覚的情報を遮断すること。

これが、「気づきの祈り」においてとても重要だと僕が考える。

何か、対象に対して祈るのではなく、「祈りのポーズ」を取ることで一度、自分自身と向き合う。

そして、自分を顧みて、自分という存在は何に「依って」いるかを、冷静に分析する。

そういうことを僕は、「初歩的祈り」「基本的祈り」と呼んでいる。

はじめから誰かに、「救われること」を求めるのではなく、祈りのポーズを取ることで、視覚的情報をシャットアウトすることで、自分を「浄化」するような。

これはある意味一種の、「簡易的睡眠」でありそれはつまり、「簡易的死」である。

自分の意識を薄めていく。

そうすることで、自分の中に溜まった余分な情報を取り除いて、自分が本当に大切にしているもの・自分が大切にしなければいけないことに気づいていく。

それはつまり、よく分からない神に救いを求めるのではなく、自分自身で自分にとっての「神に気づいていく作業」。

それを僕は、「祈り」と呼んでいる。(これが基本的な祈りで、段階が上がると、実際に自分が好きなものに対して敬意を払う次の祈りがある。)

両手を組み重ねて祈りのポーズをしてみると、不思議なことに「心」がスッとなっていくというか、自分の心がとても心地よくなっていくのは僕だけであろうか。

これ、面白いよなと思う。

「手を合わせる」というのが、すごく何か、意味が隠れている行為に思える。

手を合わせると、すごく落ち着く。

すごく当たり前の話をすると、「神」というのは誰かに与えられて作られる存在ではない。

だから多くに人にとって、「宗教」というのが胡散臭く捉えられる原因となっているのではないだろうか。

神とは与えられるものではなく、自分自身で気づくもの・見出していくものだと僕は考える。

自分で気づいて初めて、「信仰」というのが生まれていく。

他人の心にある神はいつまでも胡散臭くて、結局は僕たちは、僕たち(の心)が作ったものだけを信じられる気がする。

そういう訳で、初歩的な祈りとは両手を合わせ目を閉じることによって精神を落ち着かせての「神探し」もしくは「依り探し」と言える。

心の断捨離である。

僕たちが生きていく上で結構重要なのは、僕は「気づき」であると思うし、一番気づきにくいものは「自分」、特に「自分の背後にある自分(≒影)」だと感じている。

だから、自分を色々な方面から見ることにとても意義があるし、そのために、自分を多角的に見るために、全く意見が違う他人と話したり、もしくは全く異国に旅をしたり、僕たちはする。

「祈る」ことで、色々な自分に気づいていく。

「祈る」ことで、主に「過去の自分」と触れ合って、そして「未来の自分」を作っていく。

祈ることで現れる、「無意識の空間」もしくは「非物理的空間」はとても静かで、とても永遠である。

むしろそこが、そここそが、僕たちが一番求めている「場所」ではないかと錯覚してしまうほど、祈ることで現れる「見えない空間」は、僕にとってはかなり居心地がいい。(ここら辺、何故僕が気づけたかというとやはり、僕の「病気」が大きいなと思う。Noteの「頭痛男の生活」でも述べたように、持病の結果僕が人より多く休み時間が多く、人より多く目を閉じざるを得ない時間が長かったからこそ、こういう発見が出来たのかもしれない。)

祈りの初期は、対象はいない。

むしろ、祈りの原点とは、対象に気づく作業であり、自分に気づく作業ではないかと、天才犬飼ユウは思っている。←www

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そんなこんなで今日は仕事休みなので、多少ゆっくりして、明日に備えようと思う。

眠い。

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