6月2日「アイドル論。」

「男性ファンが女性アイドルを見て可愛い・惹かれると思うことについて。もしくは女性ファンが男性アイドルを見てかっこいい、惹かれると思うことについて」

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6月2日水曜日。時刻は午前9時。

これについては、たぶん数か月前ぐらいとか、もしくは度々このブログ内で述べていたと思うけれど、これまた改めて自分思考整理のために書いておきたいと思う。

ずっと、というか、僕が思春期頃からかわいい女の子に対しての想いから、そこからの変化というか、気づきというか、その辺りを書いていく。

すごく、かわいいじゃん、かわいい子は。←ww

可愛いから、すごい。

可愛いから、何か自分にはないとてもすごい、何かを持っている。

かわいい女の子に対して、その想いは基本的に変わってないし、たぶん一生持ち続ける。

しかし、20代後半、もしくは30代になって気づいたことを書いていく。

最初の違和感というか、あれって気づき始めたのは、そんな可愛いアイドルが、「そうじゃないよね」っていう行動をし始めたあたり。

それは何だろう・・・、分かりやすく言うとスキャンダルとか。

別に僕はこれまでそれほど特定の誰かのアイドルに熱中したことはないのだけれど、その人にファンがいれば、そのファンを裏切るようなことを、そんなニュースを僕が年を重ねる過程で幾度も目にしていった点になる。

そういう過程で気づいたのは、可愛いアイドルというのはただ、可愛い、つまり容姿に恵まれているだけで、普通に、「中身は空っぽ」という、時に普通よりだいぶ常識がなかったり、結局何だろう、外見が特別なだけで、頭の中身はアホであったり、特別ではない、ということだった。

これ、意外と、というか、かなり気づきくい所だと思う。

どうしても、可愛いアイドル、かっこいいアイドルって「神聖視」してしまうところがあると思う。

あんなに可愛い・かっこいいのだから、自分たちより想いや思考も発達していて、最低でも「まとも」であってはくれるよね、的な。

そんな僕たちの想いとは裏腹に、まあ、まともであることはまあまあの確立であるのだけれど、結局その後の彼ら彼女らの生きざまを見ても特段昔感じたタレント性はあまり感じず、普通というか、しょうもないというか、結局外見が優れていただけで、やはり普通というか、平凡なんだなって、気づかされることが多かった。

それで、ここからが大事なのだけれど。

それじゃあ、あの頃僕たちは、何を彼らに見ていたのかって。

ここが、今の部活にも絡んでくる話。

つまり、美しさは彼らの中にあったのではなくて、彼らを見ている「僕たちの頭の中」にあったのではないかって。

これをもとにして、僕が今やっている部活のその後やる予定のイメージ1,イメージ2の活動にも関わってくる。

どっちを大切にするかというか、振り返ってみてみると、どっちなのかというか。

つまり、美しかったのは、彼らではなく、彼らを美しいと思った、僕たちの頭の中にあった。

この辺は、以前からこのブログで何度も述べている「すでに自分にあるものに気づく」という、最近の僕の理念というか、行動習慣のもとになる考えにも通じている。

アイドルに限らず、何かを美しいと思う時、その対象に美しさがあるのではなく、それを美しいと思う自分たちの「感性の中」にある。

これをもっと、大切にした方がいいのではという想いが、最近の僕の思考の流れ。

つまり、自分の(感性)の美しさに気づく、自分の感性を見つめる、自分の美しさを見つめる、というのが、重要であると。

結局、可愛い・かっこいいアイドルを追っかけても、彼ら彼女らの思考は平凡で、むしろ、彼ら彼女らを美しいと思える自分の思考回路を、もっと見つめた方がいいのではないかと。

彼ら彼女らに自分たちの思考を求めるのは意味がなく、むしろ自分の「美的感覚・感性」に触れていく。

つまりこの話はニワトリが先か卵が先かの話に似ていて・・・。

可愛い・かっこいいいアイドルたちが先にあるのではなく、彼ら彼女らを可愛い・かっこいいと気づく自分内部の美的センサーを、もっと敬う・尊敬し、そちらに心委ねた方が、いいのではないか、という話。

つまり、可愛いアイドルかっこいいアイドルは可愛くなく、かっこよなくなくて、こっちの美的判定機が優れているから、彼らの外見的美しさに反応しただけ、的な。

既に自分にあるものに気づく。

自分の脳内、自分の思考、自分の感性を、もっと敬い、心委ねよ、という話。(さっき言ったぞ)

部活のイメージその1,その2では、それに基づいて、イメージの開放みたいなものをしようと思っている。(何年後?←ww)

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