9月21日「終わることが出来ない、見送り続ける僕たち。」

生きることについての障害、もしくは欠陥。それは、「続き」があること。つまり、「死ねない」「終わらない」こと。

・・・・。

9月21日月曜日。時刻は午後0時半。

ちょっとした「生きる」を、今部屋の掃除中に考えていて。←ww

それで思うのは、僕たちは生きている限り、続けないといけないことだ。

『終わりがあることが救いであり、また美しさ』であると思っている。

だから小説なりドラマなり映画なりはその美しさを保てる。

もっと現実的に言っても、テレビの「番組」であったりするものも、来週放送予定があるにせよ、その日の放送はそこで終わることが出来る。

では僕たちの場合、いつが「終わり」なのか。

それは、一日単位で言えば、「眠ること」であろうか。

「終わらせる」ことは、結構難しいというか、「欠陥」だと思う。

眠るというのは何か、終わらせる「逃げ」であるように感じられる。

だって、終わりではないのだから。

僕たちの生きるで難しいのは結局、自分がいつ「終わることが出来るのか(≒死ぬこと)」、それが明瞭ではない点だ。

「決められたゴール」というのがない。

だからある意味、いつまでもコースを「ループ」している気がする。

僕たちは繰り返さなければいけない。

美しい物語のように、エンディングを自らプランすることが中々難しい。

だから、エンディングがある物語というものに惹かれるのかもしれない。

僕たちは終われない。

僕たちは永遠と、新たな「巻」や「章」を生み出し続けなければいけない。

生きて行くならば、どんどんと、多くの終わりを見送っていくのだろう。

生きている限り終わることは出来なく、それは同等に、「空っぽ」だなと思う。

また、終わってしまえばその物語の完結を見ることが出来ない。(死んでしまっているから)

逆に、生きている人は終わった人(死んだ人)の物語の完結を見ることが出来る。

ここ、面白いよね。

・・・・。

・・・・。

・・・・。

とまあ、そんな感じの雑談でした。

・・・・。

・・・。