「何かをやる上で気を付けること・気を付けようとしていること。」
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3月11日木曜日。時刻は午後2時。(そういえば、今日震災の日だった。最近「コロナ」の方が騒がしいから、結構忘れていた。というかコロナもようやく収束しそうで何より。)
何かをやる上で気を付けている事・また気を付けようとしていることについて書く。
いわば「自戒」。
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それは、何かをやる時にそれを「到達点」的に考えるのではなく、終わらないモノ、つまり繰り返さなければいけないものである、ということ。
そこを見誤ると結構大変というか、現実の見境がつかなくなって、どう生きるべきか迷ってしまう。
以前から述べている通り、僕たちは繰り返し毎日を生きなければいけない。
今日が終わったらもうそこで終わりではなく、明日もまた僕たちをやらなければならない。
そういう意味で「目標を終わりがある目標」にしてしまうのは、結構危ないというか、例え達成しても、それでもlife is gone だから。
何か困難だとしても、到達目標を設定して生きるのは、かえって自分を苦しめる気がする。そうではなく、「繰り返しのもの」。
それはある意味、繰り返すことでどんどんその味は薄れていくから、ある意味「意味がなく」感じたり、つまらないと思うけれど、しかしそれが、自分を知り自分を創っていく唯一の道のりだと最近感じる。
どでかい高い到達点をあまり作るな。
また、作ったとしてもちゃんとその先を描け。
いやそれよりも、続けることでそれを幸せ?(≒意味合い)を感じ取れるようにしろ、みたいな。
自分というのは、変らない。
変わらないことで、繰り返す自分を日々こなすことで、自分が見えてくる。
だから、「平穏を愛せ」、的な。
無意味の中に、意味を見いだせ、的な。
これもまた、「どこか」を探すのではなく「ここ」を掘れ、精神と同じだと思う。
すでに自分は、自分の真理に触れている。
そこに気づいていくことの方が、どこかに行くことよりも重要。
まあ、どこかに行くことでその自分の真理に触れる機会は多くあるのだけれど。
それだとしても、より寄り添うべきは、「日常の自分」である。
日常の自分を愛せるように、無機質な、しかし自分にとって意味のある繰り返しをしろ。
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まあ、こんだけ書いて、これが結構難しいのだが。
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