9月22日「居場所について。」

昨日の話の、続きみたいな話になるのだけれど・・・。

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9月22日火曜日。(4連休4日目!)。時刻は午前10時。

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僕は基本的に(何でも「基本的に」っていうのが、僕の癖です。←ww)、「居場所」というものを探していた。

「居場所」。

それはもちろん、「自分」がなければいけない。

そして、何だろう・・・。

居場所というのは、もちろん「動的」な面での居場所もあるが、「静的」な居場所を、僕は探していた。

静的な居場所とは何か。

答えを言ってしまえば、この「ブログ」だってその静的な僕の居場所の一つだろう。

そう・・・、つまり居場所とは、自分の「言葉」があるところだと僕は思う。

自分の言葉が赦される。

自分の言葉が誰かに受け止めてもらえる。

そういう場所を、僕は居場所と思っている。

「恋愛」というのも、結構上位・最上位の居場所であり、「家族」というのもそうであると僕は思う。

自分が日々、理解されゆく・受け止めてゆく場所。

自分の言葉を日々聞いて欲しい、自分の言葉を、自分自身内側から吐き出したい。

居場所。

つまり居場所とは、「他者性」が必要だと僕は思っている。

確かにまずは、自分自身が自分を認める・自分自身が自分の言葉を受け止められる場所であることが第一だが、その次の段階は、それが誰かに容認される・受け止めてもらえる段階だと思う。(もちろん、自分一人で自分の言葉を受け止める場所と他者とともに受け止める場所、それを分けて成立させてもいいと思う。)

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ちょっと話を逸らした、例を出したいと思う。

例えば「恋愛」の話。

恋愛して、満たされて、とても自分の居場所だと思えたとしても、「100%」、居場所足りえなかったりするよね。

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あくまで、居場所とは、より自己を受け止める・理解出来る場所であり、恋愛している自分だけが100%の自分ではない。

自分は何なのか。

何をしたいのか。

何が好きなのか。

何に囲まれていたいのか。

自分の居場所を探す時にまず、自分分析をしないといけない。(もちろん、自分と言うものは日々変わりゆくものだから、居場所というものも変わっていくものだけれど。)

自分が優先して守りたい自分をまずは大切にする。(どれがその自分が気づく)

一般的な言葉で言うと、「自分探し」になるのかもしれない。

自分に問う・自分の内側を自分で探る。

僕の場合・・・・。

僕の場合、この自分探しというものをある意味「お金」で解決したと思う。←ww

どういうことかというと、ここ1、2年、自分が好きなもの・欲しいものをお金を出して集めるようにした。

主に漫画や書籍だ。

頭で考えるのではなく、「実体」が実際に自分の部屋にあることで、自分が何が好きで、何に興味を持っているのか自分の部屋に帰れば一目瞭然になる。

つまり、自分の部屋に好きな書籍や漫画や興味ある書籍を置くことで、自分の部屋を「居場所化」した。

ここで面白いのは、漫画は読むが、書籍についてはほとんど読んでない。←ww

だけど、買うだけでも意味があるのだ。

書籍のタイトルの目に付くところに置いておくだけで、ああ、自分はこれに興味があるんだなということを気づかされる。

また読まないってことは、それぐらいの自分の興味ってことが知れる。

以前このブログで述べたけれど、自分の部屋の「本屋化計画」とはそういうことだ。

街の中で、僕が唯一と言っていいほど好きなのは「本屋」だ。

本屋は、どこかに連れていってくれるような気がするから。

僕は常に、どこかに行きたいのかもしれない。

その気持ちを、実際に本を買って自分の部屋に置くことで、自分の部屋でも体験できる。(まあぶっちゃけ、書籍のほとんどはアマゾンの中古で買っているけど。)

僕にとって基本的な居場所とは、「書籍」、または「本棚」であると感じる。

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とまあ、そんな感じで、まだ書こうと思ったけど疲れたから、ここまでにする。←ww

今回はまずは自分一人の居場所を主に語ったが、次のステップの、他者との交わりの中の居場所についてはいずれ語る。

まあ、今の僕にとってはそれが「部活」なのだけれど。

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