1月1日「車での通勤時間という異空間についての整理」

「車での通勤時間という異空間についての整理」

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(年明け最初に書くことがこれか。←ww)

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以前から僕は、自分にとっての最大の「居場所」とは自分の家であり「部屋」であると幾度か述べてきた。

だからある意味、「引きこもり」とは「正解」である、とか。

しかしその最大の居場所である自分の部屋とか、それ故「虚構」であり、その居場所に居続けてしまうとその居場所が居場所であると気づきくい。

だから、旅とか、物理的距離を離れたりして、家に帰りたくなるように、そうして居場所を再確認する。

自分の家という居場所は居場所であるために、あまり長居してはいけない。

居場所であると実感するために、ある程度そこから離れることで居場所であると実感する。

(海外旅行に行って、日本の良さを再発見するように、いかに現在の自分を俯瞰して見れるか、そのためには物理的や時間的に距離をとらないといけない。)

だから、そういう意味で、僕は今「会社」に行って、働いている。

家にずっといては、家の意味が不透明になってしまうから、日々「離れる」ことが重要ではないか、と。

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その中で、以前から少し述べてきたが、「車の通勤時間」が、僕の中で「異質」であると感じている。

ふむ・・・。←ww

何だろう・・・。

その時間は、「振り返りの時間」がとても多く、今の僕をより冷静に、俯瞰的にさせている気がする。

ある意味、普通の自分より「一歩進んだ」「未来的な自分」が、車の中の自分であるような気がする。

ある意味、自分に「酔っている時間」というか。

しかし、酔わないと人は、つまり「フィクショナル」にならないと人は、変わっていけないのでは?と思っている。

今の自分はこうこうこうだから、こうこうこうした方が何か、未来に何か今までとは違う「ユニークな」ものがあるのではないか。

アバウトに言えばそういうことを、僕は通勤時間の車内でやっているのではないか?

通勤時間の車内とは、異質な空間であると思う。(まあ、通勤時間に限らず、勤務中でお客様の所へ向かう車内とかでも同様だけど。)

家にいる時の自分とは、確実に違う。

それはやはり、「景色」が変わっていくことが「キー」となるのだろうか。

旅行とかも、そうだ。

電車とかに乗って、景色がどんどん更新されていって。

それに対して僕たちは何か、化学反応をしている気がする。

「時間」というのは、ある程度意識しているにせよ、少しずつ進行している。

それを実感出来るのが、「景色の移り変わり」なのだろうか。

また、会社でいると他者がいて、他者に合わせた自分、他者から見られた自分が自分に混じってくる。

自分をより優先させた自分、それが車内における自分ではないか。

車内にいると、振り返る時間が多いし、自己を顧みる時間が多い。

その、何とも言えない、もしかしてとても無駄とも言える時間が、今の僕に多大に人格形成に影響を与えた可能性は高いと思っている。

そういう意味で、やはり「働く」、会社までの時間があるというのは、今の僕にとって必要だと思っている。

まあ、そんなに働きたくないけれど。←ww

働きたくないけれど、働きたい。

うご。←ww

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今回はこの話を長く書いたけど、まだ書くこと溜まっているので書いてく。

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「30代・40代の貯金額について」

テレビで特集されていて、ネットでその画面を拾ってみたのだけれど、かなり少なくて驚いた。

あれはどの程度、そう調査されたのだろう。

例えば家や車を買ってローンがある人は、どう計算されているのだろう。

いずれにしても、ほぼ貯金無しが30%いるのに驚いた。

ふにゃ~~。

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「今のサブカルチャーの大半はすでに手塚治虫が創造している。」

おそらく僕が一番影響を受けていて、また尊敬している漫画は手塚治虫なのだけれど、大半といると言いすぎかもしれないけれど、今のサブカルチャーの大半はすでに手塚治虫が作ってあることが多い。

その手塚治虫は、何に影響されてああいうのを描けたのかを思うことが多い。

それにしても、凄い人だ。

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「働くことのメリット」

今の自分における色々な働くことのメリットをこれまで書いてきたけれど(一番大きいのはコミュニティーに属せるということ)、こうして年末年始を迎えると、「言葉を発しない」つまり「喋らない」ことのデメリットをすごく感じていて、その上で働くことで強制的に言葉を発せるのは、いいなと思う。

日常的に言葉を音ととして(文字ではなく)発しないのは、人間的に低下するなと感じた。

やはり喋ることって大事だよなと、改めて感じている。

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「姿勢について」

今、イスとかソファに座りながらこれを書いていて、家にいる時、こうしてパソコンの前にいる時はこうした姿勢でいることが多いのだけれど、この姿勢があまり好きではない。

立ってたり歩いている姿勢の方が楽だし、この座っている姿勢ってすごく、人間的に「窮屈」だなあと感じる。

「時間と空間」において、その「空間」において、自分の形、つまりどういったモニュメントで今の自分がその空間内にあるかということを僕はすごく気にしていて、例えば歩いたりしている姿勢だと、少し心が弾むじゃん。

「動的な姿勢」だと、考えることが弾むというか、開放的になるというか。

逆にこうした座っている姿勢ってどうしても自分が狭くなるような感じがして、好きではない。

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