5月22日「今回のコロナで感じていること色々」

「今回のコロナで感じていること色々」

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おそらく、もしかして、読む人にとっては不謹慎なことかもしれないけれど、自分の素直な気持ちを整理したくて書く。

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5月22日土曜日。時刻は午後7時。

基本的に今回のコロナは良くなくて、こんなこと起きなければ良かったのにね、こわいね、っていう意見が一般的で、僕もまたそう思うし、コロナにかかりたくないなあと今でも思っている。

しかし同時に、少し、今回のコロナで「高揚」している自分がいる。

それはやはり、こういう社会や世の中が変わる節目に立ち会えていることに、奇妙な多幸感というか、それは小学生のころ、とても大きい台風が接近してきて、学校が休校したり、外がえらいことになっている感じに似ているかもしれない。(もしくは、例えば阿蘇山が噴火したとかのニュースであったり、NYの9,11の出来事であったり)

その災害や悲劇によって大きな喪失が生まれているのは確かなんだけど、それを傍から見て経験出来て、何か自分の中に新しい価値観が根付き成長していく心の変化が、自分をドキドキさせる。

それまでの自分から、未来の自分が大きく変わる、その変化の心に、「分からない心」に、僕は少し興奮してしまう。

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また、それは、今の自分がすごく大きいというか・・・。

今回のコロナで、より社会を知りたくなったというか、そういう知識欲が自分の場合増した気がするし、実際1年前までは知りたいと思わなかった社会や世の中や経済のことを知りたくなり、調べたり、そうすることで世の中が新しく見えたり、つまり自分が求めることが変わったり、新しくなったりして、すごく今の自分が新鮮に感じている。

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今回のコロナで、今までは「絶対」だと思っていたものが簡単に崩れたり、こうだよねっていう常識的価値観が一気に崩壊したり、つまりそういう「可能性」を、今後の自分は捨てきれない、もしくはとても意識して生きないといけないという想いが、ドキドキというか、今までの常識を変更してくれて、面白いなと思う。

これが凄いのは、世界のみんなが経験している点だ。

局地的な経験ではなく、みんなが経験しているということは、つまりみんなが変わる、世界が変わるということだ。

それがすごく、ドキドキする。

例えばアメリカの9.11は確かに世界のみんなが衝撃を受けたが、それでもある意味それはアメリカと中東の話だけであった。

アフリカのどこかの国の人々にとってみれば、9,11は全く関係ない、もしくは知らないニュースかもしれない。(そんなことはないと思うけれど)

しかし今回のコロナの場合、世界のみんなが危機感を感じないいけない事案であったり、世界のみんなが意識しないといけないことであったりする。

自分の命が、やばいかもしれないから。

そんな経験、本当に、戦争並みの出来事だと思う。

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また、そういう、コロナによって変わる世界や世の中に対して、最近の自分がまあまあ、対抗出来ている、もしくは対応しようと、色々変化出来ているのに、高揚を感じている。(あくまで自分内範囲の話だけど)

それはおそらく、これまでの社会経験が、大きいと思う。

9,11の頃の、学生の頃とは違って、ある程度社会に触れ、社会を理解し、そして精神的ゆとりが大きくなって、納得できる安心をある程度手に入れたからこそ、持ちうる「俯瞰性」というか、「客観性」というか、そういう安心材料が今の自分には感じていて、何とか今回のコロナに対応しなきゃな、対応するにはこうだよね、的な策的なものを持ち合わせている自分に、ちょっと感動している。(と言っても特に何かやるわけではなく、マインドの持ちよう、の感じ。うまく説明出来ないけど、心の平衡感覚みたいなもの。)

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例えば、ガンダムを操縦出来ている感じ。(は?←ww)

ガンダム≒自分の心、的な。

ガンダムを上手く操って、敵(不安で不安定な世の中)に対応している感じ。

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そんな感じです。

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