「結局、「平面の世界」に帰る。」
昨日述べた、部活関連の話の続きみたいな。
またこの部活関連であったり、この部活の思想とかはここ半年で幾度か述べていると思う。
それで、何故文章・文字系をあまり理解できない僕が部活の表現方法としてそうした文章・文字系を主戦場にしようとしているのか(現時点での主戦場はそうであって、この主戦場がある程度軌道に乗ったら、絵画系の部活も同時進行したいと思っている)なんだけど、結局ひとはひとりであり、それとはつまり、「平面的な世界」、つまりリアルであったり、動画系の表現では表現できない世界を、文字系・文章系の表現は表現できるからだ。
文字系・文章系の表現は以前から述べている通り、「一番弱い表現(相手に伝わりづらい、コミュニケーション下手な表現)」であると思っているが、しかし、人の本質を一番表現できるのはやはり、文字系・文章系の表現なのである。
リアル的・現実事象的なものは、いずれ消えるというか、すべてのものは過去になり、まあいわば、その過去的人間≒平面的人間を表現できるのが一番、文章・文字系の表現であるわけ。
人の人生、何をしようにもそれほど変わりがなく、結局死に行きつく。
つまり、生→死へはすごくシンプルな線であり、そこに色々人によって差はあるけれど(例えば分かりやすく言うと、プロ野球の大谷選手とか、棋士の藤井さんとか若くして才能をいかして活躍しているけれど、それをうらやましいか、自分と比べて卑下してしまうけれど、別にそんなに差はない、僕たちも変わらず生きて、死ぬだけだよ、という話)・・・。(カッコ内で語ってしまった。←w)
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結局、「平面的な世界」に生きつく。
部活はある意味、そんな世界にしたいし・・・。
僕の精神的居場所もまた、そんな場所にしたい。
それは、部活の仕掛けによって、自分を守るというか、他者をとりあえず区切りを設け、「自己対話」する機会を与える場所にする。
自分を自分、もしくは自分以外で最も自分を理解してくれる人とのだけの空間にすることで、自己対話・自己振り返りする場所。
部活とは、そんな感じなのである。
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相変わらず休みの日の午前中は平日働いた分頭の痛みが治まらず、さっきまでベッドで横になっていた。
これから、ジムに行く予定。
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6月26日土曜日。時刻は午前11時。