今日も仕事終わりに格闘技系ジム行ってきた。
11月9日水曜日。時刻は午後9時。
あ・・・。
基本的に、自分というのは、いや・・・。
自分というか、頭痛というか、頭痛にさいなまれた、頭痛に支配された、頭痛に囲まれた・・・。
「頭痛に囲まれた」という表現が、いいかなと思う。
「思考」というのは基本、頭(人間の部位でいうと上部分の、顔がある所)でしていると思う。
その頭の一番外の部分を覆うように、僕の痛み(頭痛)は僕の頭周りに群がっていて、痛み締め付けている。
その痛みは痛いから、痛いとはイコール死だから、痛いという経験を何度も連続にくらっていると、死を巡るから、僕という人間及び僕の思考というのは割と死で覆われている・囲われていると思う。
死で覆われている思考、死で囲まれている思考だから、以前にも述べた通り、基本生きること及び何かにつけて考えるにおいて、「恐怖」を僕は持っている。
だから、まあすべてこの病気のせいにするのも嫌だけど、すべてを恐がり、逃げるという表現もいまいち表現しきれてないから嫌だけど、結果として20歳前後からの15年間ぐらい、僕はあまり得ることが出来なかった。
僕は何故今週になって、キックボクシングのジムに通っているのか。
・・・・。
今日も行くかどうか迷った。
疲れていたし、寒いし、外に出ると面倒くさいし、ベッドに横になりたかったから。
だけど、その強い動機として、現状を何か変えたい気持ちが強かったの思う。
今まで通り休んでも、今までのままだったから。
気持ち的には行きたい気持ちと行きたくない気持ちが半分半分で、何となく行ってみた。
基本的には、最低週1でいい。
やはり僕は、他者があまり好きではないというか、他人と共に時間を共有するのが疲れる、気持ち悪く感じる。
休みたい。
だけど、変えたい気持ちが強かったから、今日も行ったのだと思う。
とりあえず殴りたかった。
ジムに行って、他人と会うのは嫌だけど、殴りたい気持ちがあった。
殴りたい。
15年間ぐらい、自分は死を与えられてきて、痛くて、辛かった。
一方的に殴られてきたから、それに反抗するように、殴りたい気持ちが僕の中で溜まっているのだろう。
実際にジムに行って主にミットを殴ると、重くて固くて、殴ると逆に僕の拳の方が痛くなる。
それにかなりムカついている。
先輩?にミット打ちをさせてもらうのだけれど、自分が思うような強いパンチや気持ちいいパンチがなかなか打てないというか、パンチを打つのが難しい。
もっと気持ちよくパンチを打ちたい、殴りたいので、力が足りない、もしくはフォームが変なのがムカつく。
ドガンと、自分の今までの鬱屈した気持ちを代弁するような、相手を殺したい気持ちを代弁したようなパンチが打ちたいが、ミットに負ける。
ムカつく。
1時間ぐらいで練習を終える。
練習をいつ止めるかは個人個人で決めてよく、だけど通っている人の多くは結構長くいるっぽいが、僕は1時間でもう疲れていいやって思っちゃうのでそれで先輩方にあいさつして帰る。
練習し終えた後は気持ちいい。
めちゃくちゃ充実感がある。
これは筋トレにはない充実感だ。
その点は筋トレより勝っていると思う。
何か、「戦った意識」が格闘技系トレーニングを終えた後は充実していて、自分から温かい空気が流れ出ているのを感じる。
「一戦交えた」感が自分から漂って、うっとりする。
明日も行くかどうか分からない。
(その格闘技系ジムは平日は毎日やっている。)
殴りたい。
綺麗なパンチを打ちたい。
強いパンチを打ちたい。
重いパンチを打ちたい。
自分内に溜まった気持ち悪いものを、殴ることで吐き出したい。
〇したい。
・・・・。
・・・・。
・・・。