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さっきの、続きというか。
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現在、8月17日、午後10時過ぎ。
さっき書いた、その1の続きというか。
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にゃはは。
伝えるって、難しいよね。
想いを形にするって、より正確に伝えるためには、一方向じゃダメだよね。複数のルートから、その想いを見ていかなくてはいけないよね。
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その1の続き。
さっきの続き。
さっき、だいぶ「明るい感じ」に喋ってしまったというか。
さっき、すごく「青年実業家風に」語ってしまったというか。
あれはあれで、「光りの側面である僕」で、間違いではないのだけれど。
僕というのは、「複数」いるから。
僕というのは、光りと闇(暗闇)、その2つで構成されているから。
さらに言えば、僕は平均的よりきは、闇が多い人間だから。
さっきのその1を書き終えて、一旦休憩して。
休憩してってつまり、「暗闇時間」に身を置いて。
暗闇時間とはつまり、部屋の電気を消して、ベッドに横になって、暗闇の中に身を置いて、自分を静かに観察して。
その時思ったのが、先ほどは・その1はだいぶ、「明るく」喋っちゃったっねって。
あの僕は、明るい僕は、別に「間違い」ではないのだけれど。
ああいう「側面」が、増えてきた旅行後の僕だけど。
基本的に、「暗い僕」がなくなることは、この先死ぬまで「永遠に」ないというか。
それは、すべてがこの、「呪われた頭痛」のせいではない。
それは、そのすべてがこの、「止むことない終わらない頭痛」のせいではない。
この頭痛は、僕の「暗い想い」を、ただ、『加速』させたというか。
この頭痛は、僕の光りと影のうち影の部分を、より深く掘り進めたというか。
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結局、僕がいくら変わろうとしても、光りの部分を、どれだけ増やしても、常に夜になれば、常に真夜中に近づけば、僕はまた、「影」に帰っていくんだ。
夜の僕はまた、「夜の僕」・「暗闇の僕」を必要としているんだ。
そこはまるで、幸せや不幸せからも遠い。
いや、最高に不幸で、最高に幸福と言えるかもしれない。
夜はこわい。
暗闇はこわい。
いくら、「光りの幸せ」を寄せ集めても、夜になれば、「永遠に近い暗闇」はやってくる。
むしろ、その、永遠に近い暗闇に『対抗』するために、僕は旅行後、「光りの自分」をもっと作ろう・光りの自分をもっと増やそうとしていたりしていて。
僕のベースは・僕の定位置はどちらかというと、暗闇寄りなのだ。
暗闇を、もっと知りたいというか。
暗闇を、もっと「触れたい」というか。
暗闇を知るために、光りをもっと知りたいというか。
暗闇を「鮮やかに」知るために、鮮やかな光りを必要としている。
昼間、どんなに元気なフリをしていても、幸福に酔っていても、夜はくる。
夜は、とても僕たちを迷わせていく。
どこまで迷うのか。
どこまで迷う、フリをし続けるのか。
暗闇に酔う、自分が好きだ。
暗闇に騙される、自分が好きだ。
暗闇の中で、「自分を失くす」。その時間は、僕はとても可笑しく、とても狂い、そして笑う。
暗闇の中では、まるで「有あるもの」が、ほぼ「価値」を失っていく。
前にも言ったけど、暗闇の中目を閉じてしまえば、僕たちは現実にあったものを、その暗闇の世界に持っていけない。
何も、そこには持っていけないのだ。
現実で何を手にしても、現実で何を得ても、物質的なものは、目を閉じた世界・暗闇世界には持っていけない。
まるですべて、「幻」であったかのように。
まるですべて「嘘」であったかのように。
すべてを、「想い」に『変換』していかなければいけない。
鮮明な思い出が、僕たちの頭の中でどんどん「曖昧」になっていく。
暗闇の中・目を閉じた世界では、僕たちは自分たちの「想い」でしか、自分を「救えない」。
暗闇の中・目を閉じた世界では、僕たちは自分の想いでしか、僕たちをコントロールできない。
暗闇の中では・目を閉じた世界の中では、みな『孤独』なのだ。
ここでは、みな、「ひとり」なのだ。
ここでは、自分の「精神」しかない。
ここでは、自分の想いでしか、自分を「安心」させられない。
僕はそれが、嬉しい。
まるで僕の定位置に、みなが寄ってくるような気がして。
どんなに活動的でも・どんなに大声あげるやつも、最低限、「寝る時間」・「睡眠時間」がある。
馬鹿みたいに幸せ振りかざしている人も、一日のうちで数時間は、「ひとり」にならなければいけない。
自分の想いの中で、自分を守らなければいけない・安心させなければいけない。
なんだか、結局、この時間がこわいから、みんな、起きている時は、幸せであろうとしてるようにも思えてくる。
なんだか、結局、眠れる時間・想いの時間がみんなこわいから、起きている時は、眩しいもの・羨ましいもの・美しいもの・光りのものを追い求めているような気がする。
光りと闇。
集団と孤独。
僕たちは一日の中で、それに必ず触れる。
様々な僕たちがいる。
最低限、2つの僕たちが、僕たちの中に存在している。
だから迷うし、僕たちは何度も、自分に問う・自分に疑問を投げかける。
分からない。
みんな、分からないのだ。
だから、存在してるとも言える。
だから、僕たちの存在は「有している」ともいえる。(さすが、犬飼ユウ君。惚れる。抱いてっ!)
幸福か不幸かという「測り」は、どうしても「他人と比べて」というのが存在する。(自分と同じ生き物である他の人は、自分を知るためのよ尺度。自分というのが分かる最大のヒント。)
しかし僕は、数行前に言った、みなが同じく迷っている・みんなが同じく孤独にならざるをえない僕たちの精神構造・身体的リズムがあると思っているので、それほど自分が、「不幸せ」とは思っていないのだろう。
暗闇の中では、みんなはそんな、「差」がない。
目を閉じた精神の世界では、僕たちは現実のものを何も持っていけない。物体を持っていけない。あるのは自分たちの想いだけだ。
自分の想いに、どう対抗するか・どう対応するかだけだ。
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っていう、感じですかね。(何を書いているか、分からなくなってきた。)←ww
ちなみに何ですが、僕はエロ動画では、『フェラシーン』が一番好きです。
それはたぶん、「女性の脳」に興奮しているんだと思います。
女性の想いと、僕たち男の想いの主であるちんこが重なり合っているシーンが、一番好きです。
僕たち男は、ちんこを起点にして・ちんこを始点にして、想っていく。
フェラシーンって、女の想いの中に入っていくようで、だから僕は興奮するのかな。
(なんか少し矛盾してるし、つじつまも微妙にあっていないけど、もう頭が疲れたので、これで終わります。)
おつかれさまでした。
暑いですね。
まだ、甲子園はやっていますね。
なんというか、僕の中で、もう夏は終わったというか。
一足先に、僕は夏を終えた感じです。
それでは、おやすみなさい。
とても不幸せな君へ。
そして、とても幸福な君へ。
おやすみなさい。
とても心地よく、眠れたらいいですね。
それでは。
にゃはは。